2026年1月28日、ワルシャワ。 トレードショーのメインステージに立ったKrystian Król氏は、まず聴衆に向かって優しく、しかし確固たるトーンでこう切り出しました。
「私は人間を愛しています。そして、皆さんのビジネスも愛しています。だからこそ、今日はあえて厳しい話をしましょう。皆さんが今作っている『最高の広告』。実は、その多くが、皆さん自身の手によって『ゴミ箱行き』のチケットを渡されているのです」
会場が静まり返る中、クルル氏は「脳の物理学」に基づいた、マーケティングの再定義を始めました。

第1章:脳の「節約本能」をハックせよ ―― 誇りのない「怠惰な脳」の正体
クルル氏が最初に解剖したのは、現代のマーケターが最も犯しやすい過ち、すなわち**「情報過多という名の暴力」**です。

1. 脳は「努力」を最大の敵と見なす
「私たちの脳は、皆さんが思っている以上に『誇り』がなく、極めて省エネを好む性質を持っています。新しい情報を処理する際、脳は膨大なエネルギー(糖分)を消費します。そのため、本能的に『エネルギーを節約しよう』という強力な生存バイアスが働いています」
クルル氏によれば、脳は入ってきた情報に対して、一瞬で「これは自分にとって生命維持や利益に直結するか?」を判断します。少しでも「難しい」「情報量が多い」「何をすべきか一瞬でわからない」と感じた瞬間、脳はその情報を「自分には関係のないノイズ」として認識し、物理的に視界から消し去ってしまいます。これをクルル氏は**「脳の拒絶(Brain Rejection)」**と呼びました。
2. クリエイティブの黄金律:1・1・1・1
広告を台無しにしないために、クルル氏が提唱する**「黄金のルール」**は、驚くほどシンプルですが、徹底できている企業は極めて稀です。
- 1つの言葉(One Word):ブランドを一瞬で象徴する単語。
- 1つのメッセージ(One Message):その瞬間に伝えたい唯一の便益。
- 1つの状況(One Situation):ターゲットが置かれている具体的なシーン。
- 1つの行動(One Action):今すぐボタンを押すのか、店に行くのか。
「もし、あなたが広告の中に3つのメリットを書き込み、4つの電話番号を載せ、サイトURLとQRコードの両方を配置しているなら、その広告はすでに死んでいます。顧客に『どれを選べばいいか』という思考の負荷を与えた瞬間、脳はシャットダウンし、あなたの広告はただの『背景の一部』へと成り下がるのです」
第2章:ダニエル・カーネマンの遺産 ―― 95%の決断を支配する「システム1」
クルル氏の戦略の屋台骨となっているのは、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの行動経済学理論、「システム1」と「システム2」の使い分けです。
1. 理屈で売ろうとするな
「重要な事実を認めましょう。人間の購買決定の95%は、本人が意識していない『システム1(直感的・感情的反応)』で行われます。 私たちが誇りに思っている論理的な思考(システム2)は、実はその直感的な決定を、後からもっともらしく正当化するための補助機能に過ぎません」
多くの失敗広告は、最初から「ロジック(論理)」で顧客を説得しようとします。しかし、クルル氏はアディダスの靴を例に挙げ、この矛盾を喝破しました。
「なぜナイキではなくアディダスなのか? 人は『デザインが良いから』『性能が優れているから』と理屈を並べます。しかし、本当の理由は、そのブランドに対する『エネルギー』や『好意』が、システム1によって瞬時に、かつ無意識のうちに決定されているからです。広告は、顧客に『考えさせて』はいけません。顧客に『感じさせる』ことが、最初にして最大のミッションなのです」
2. エモーションは「バリア」を破壊する
「私たちの脳はロジック(論理)に反応するのではなく、エモーション(感情)に反応します。感情が動いた時、初めて脳の防御壁が下がり、情報が深部へと浸透します。最初のコンタクトで集中すべきは、100%感情的なフックです」
第3章:最初の0.5秒を支配する ―― 視線と笑顔のニューロサイエンス
クルル氏は、広告のビジュアルにおいて「人間」をどう扱うかという、具体的かつ科学的なテクニックに踏み込みました。
1. 鏡の向こう側の「女の子」とミラーニューロン
「例えば、素晴らしいモデルの写真を加工して広告に載せたとしましょう。彼女がどこか遠くを見ていたり、うつむいていたりするなら、その広告のインパクトは激減します。なぜか?」
- 視線の力(Gaze Following): 人間は、自分を見つめている顔に注意を向けずにはいられません。目が合うことで、信頼関係の構築が0.1秒以下で始まります。
- 微笑みの伝播: 広告の中の人が心から笑っていれば、見ている顧客の脳内の「ミラーニューロン」が反応し、無意識のうちに自分も幸福感を感じてしまいます。
「もし幸せを売るブランドなら、悲しい顔や無表情なモデルを選んではいけません。そんな当たり前のことが、多くの制作現場では無視されています。メッセージとモデルの表情が1ミリでも食い違っていれば、顧客の脳は不快感を感じ、その広告を排除します」
2. 「顔」の認識能力
人間は生存のために、他人の顔を識別する能力が異常に発達しています。クルル氏は「17.16cm(※議事録上の特定数値)」というディテールに触れつつ、モデルの顔がどれだけブランドの「信頼性(Trust)」を左右するかを力説しました。
第4章:広告は「釣り針」であれ ―― 全てを語らない勇気とLPの役割
クルル氏が強調したもう一つの重要な戦術は、「広告(アクセサリー)」と「ランディングページ(LP)」の厳密な役割分担です。
1. アクセサリーは「興味」だけを与える
「最初のアプローチで、商品の仕様、価格、歴史、受賞歴をすべて話す必要はありません。広告の役割はたった一つ。顧客に『おや?』という興味を持たせ、次のアクションへと誘うことだけです」
クルル氏は、自身が関わったプロジェクト「LUBER 360 PRO」を例に挙げました。 「最初の接触であるバナーやポスターでは、360度の没入体験ができるという驚きと、女性に訴求する特定の色彩(信頼を象徴するマジェンタやグラナート)のみを提示しました。詳細なメリットや連絡先は、誘導先のLP(ランディングページ)でじっくり見せればいいのです。広告で全てを語ろうとするのは、デートの最初の挨拶で自分の全履歴書を渡すようなもので、ただ嫌われるだけです」
2. 小さな企業ほど「全部盛り」の罠にハマる
「小さな企業や経験の浅いマーケターほど、広告の余白を埋めようとします。しかし、アクセサリー(広告)を重くしすぎると、顧客の脳はそれを持ち上げることができなくなります。まずは脳の入り口を軽くすることが、コンバージョンへの最短距離なのです」
第5章:ターゲット戦略 ―― なぜ「女性」という主権者に全振りすべきなのか
クルル氏は、購買決定における男女の役割についても、マーケティングの実務における非常に大胆な見解を示しました。
1. 購買決定の真のリーダー
「私たちの戦略において、ターゲットグループの主軸は常に『女性』です。統計学的にも、家庭内の購買決定権の多く、あるいは商品に対する細かな価値の評価は女性が主導しています。男性は多くの場合、女性が重要視する価値やニーズの深淵を完全には理解していません」
- 女性への360度アプローチ: 単純な機能説明ではなく、彼女たちの感情、生活の文脈、社会的なつながりに響くメッセージを設計すること。
- 「子供の顔」の心理学: 「子供の顔は私たちの顔に似ている」という心理的な親近感や保護本能を利用することは、ターゲット層に強力な安心感を与えます。
2. ボヤけたターゲットは誰にも届かない
「もし、男性と女性の両方にいい顔をしようとして中途半端なメッセージを出すくらいなら、迷わず女性をターゲットに絞り、彼女たちの感情を揺さぶるべきです。女性の心が動けば、そのグループ全体の購買行動が動くからです。これが、最も効率的なリソースの配分です」
第6章:AIがもたらす「100%製造」の衝撃 ―― Red Missy F325スタイルの衝撃
Ciosek氏のセッションとも呼応するように、クルル氏もAIによる制作の革命について触れました。
1. 6時間で70点のグラフィックを生成する狂気
「Red Missy F325というプロジェクトを見てください。これは100% AIによって生産されたスタイルです。人間が関われば数週間かかる『70パターンのハイクオリティ・グラフィック』を、わずか6時間で完成させました。これが今の現実です」
このスピードは、単なる「効率化」ではありません。市場への「打席数」を劇的に増やすことで、顧客の反応をリアルタイムで分析し、その日のうちに広告を差し替えるという**「運用のダイナミズム」**を可能にします。
2. 「AI臭さ」を排除するリアリズムの追求
「しかし、注意してください。SNSを開けば、今やAIで生成された美しいグラフィックで溢れています。しかし、皮肉なことに、誰もそれらに驚かなくなりました。あまりにも完璧で、あまりにもツルツルした『AI風の画像』は、もはや脳にとって『不自然なノイズ』として弾かれる対象になりつつあります」
クルル氏が提唱するのは、**「リアルとデジタルの融合(ハイブリッド・リアリズム)」**です。AIで骨組みを作りつつ、そこに「生身の人間味」や「不完全さ」をあえて加えることで、顧客のシステム1に深く突き刺さるのです。
第7章:地政学的リスク ―― ヨーロッパの停滞と、アメリカの「VPN」戦略
クルル氏は、ワルシャワという地において、あえてグローバルな情報格差への警告を発しました。
1. 「古いジム」に取り残されるリスク
「ポーランドを含むヨーロッパは、少し古い体質(ジム)に固執しているように見えます。規制や伝統を重んじるあまり、AIの進化から置いていかれようとしている。このままでは将来、ヨーロッパのクリエイティブは死を迎えるでしょう」
2. 「VPN」という名の知能へのアクセス
「アメリカのクリエイターは、VPNを使って世界中の最先端AIにアクセスし、正確で高速なグラフィック制作を当たり前に行っています。彼らは、どの国の知能が最も優れているかを嗅ぎ分け、即座に自社の武器にしています。情報の国境に甘んじている者は、この戦いに勝てません」
第8章:ブランドの脳内占有 ―― 色とフォントの認知物理学
クルル氏は、ブランドのロゴ、フォント、色の選択が、いかに無意識下で顧客の行動を操作しているかを詳解しました。
1. 「赤」と「青」の物理的反射
「赤の色は人間の脳に最も強く、最も速く反射されます。これは進化の過程で、赤が血の色、あるいは果実の色という重要な生存シグナルだったからです。一方で、青は空や海を連想させ、信頼や冷静、知性を司ります。あなたが『警告』や『即時行動』を促したいのか、それとも『長期的な信頼』を築きたいのかによって、色の選択一つで結果は180度変わります」
2. IKEAが教えてくれる「ロゴの視認性」
「ロゴがロゴタイプの中に埋もれているデザインは、ブランディングの敗北です。顧客の脳は『細胞』です。単純さと繰り返しによって、そのニューロンの結びつきを強くしていきます。IKEA(イケア)のロゴを想像してください。もしあのロゴが細い文字で書かれていたら、誰もあれほど親しみを感じなかったでしょう。どこにいても、一瞬で『あ、これはあの会社だ』と認識できる大きさ、鮮明さ。それこそが、広告が台無しにならないための防壁となります」
第9章:クリエイターの役割は「職人」から「オーケストレーター」へ
AIが誰でもボタン一つで同じクオリティの画像を作れるようになる中で、人間に残される唯一の価値とは何でしょうか?
クルル氏は、それを**「自分のクリエイティブを伝える力(Orchestration)」**だと強調します。
1. ChatGPTにプロンプトを書かせるな
「多くの人が決定的な間違いを犯しています。ただChatGPTに『プロンプトを書いて』とお願いして、出てきたものを画像生成AIに入れる。それでは『あなたのクリエイティブ』ではありません。誰がやっても同じ結果になります。まず、あなた自身のプロジェクトをどうしたいのか、あなた自身の独自の視点、解決策をしっかり持ってください。ChatGPTを『プロンプトを自動生成する機械』にするのではなく、あなたの脳内にある『解決したい課題』をAIに翻訳させるための、高度なパートナーとして使いこなすべきです」
2. SNSは「数十分の命」
SNS(TikTok、Facebook、Instagramなど)の現実についても、クルル氏は冷徹です。 「SNSの投稿は、わずか数十分から数時間でタイムラインの彼方に流れ去り、人々はすぐに忘れられます。そんな消費されるだけの場所に、何十時間もかけて手作りのグラフィックを投入するのは狂気です。今の瞬間を切り取り、AIで高速に生成し、人々のクリックを誘う。この『圧倒的なスピード感と機動力』こそが、SNS時代のクリエイティブの正体です。これに怒るのではなく、これを利用するのです」
第10章:結論 ―― 広告を「生き残らせる」ためのリーダーズ・マニュアル
Krystian Król氏の1時間にわたるセッションは、聴衆の脳をリセットするような、以下の5つの鉄則で締めくくられました。
- 感情(システム1)を玄関口にせよ: 理屈で語る前に、視線と笑顔で脳の警戒を解き、ミラーニューロンを活性化させる。
- 引き算は「義務」である: 1つの言葉、1つの状況、1つの行動に絞り込み、脳のエネルギー消費をゼロに近づける。
- 広告は「釣り針」、LPは「網」: 最初の接触で網(すべての情報)を投げない。アクセサリーとしての広告に徹する。
- 女性の感情主導権を尊重する: 決定権者を正しく見極め、情緒的なシンクロニシティを生み出す。
- ロゴと色は、脳の神経系に物理的に刻み込め: 繰り返し、大きく、単純に。
「私のプロジェクトでは、週に3時間は必ずカフェに行き、顧客が実際にどのような顔でスマホを見ているかを観察する時間を設けています。皆さんも、机の上のデータだけではなく、生身の人間の『脳の反応』を直接見つめてください。最高の広告を、あなたの手で守り抜いてください」
💡 LIF Tech 解析:クルル氏のセミナーが突きつける「3つの生存戦略」
- 「0.5秒のデザイン」への全振り デザイナーが「かっこいい」と判断する基準と、顧客の脳が「安心」と判断する基準は異なります。0.5秒でメリットが伝わらないクリエイティブは、どれほど美しくてもビジネス上の「負債」です。
- LPを起点とした「逆算型」クリエイティブ 広告(アクセサリー)単体で成果を出そうとするのをやめましょう。LP(着地点)での完璧な説明を前提に、広告は「いかに最小の負荷でクリックさせるか」という心理的フックの開発に特化すべきです。
- AIの「不気味の谷」の回避 量産されたAIグラフィックが飽和する中、今後はあえて「物理的なテクスチャ(質感)」や「人間らしい不完全さ」をデザインに取り入れることが、最大の差別化要因となります。
(LIF Tech編集長)の視点
Krystian Król氏のセミナーは、私たちがこれまで「美徳」としてきた丁寧な制作プロセスを真っ向から否定するものでした。しかし、そこには「人間への深い理解」があります。
特に印象的だったのは、**「脳は誇りがない」**という言葉です。私たちは顧客の知性を高く評価しすぎて、複雑な説明をしてしまいがちです。しかし、真の知性は「複雑なものを、いかに脳が喜ぶシンプルさに変換できるか」にあります。
リフテックでは、今回クルル氏が触れた「ニューロマーケティング」の具体的な手法――視線の誘導や色彩の反射率の最適化――について、実際にAIを活用してテストした検証記事を順次公開していく予定です。
2026年、広告の勝敗は「センス」ではなく「科学」で決まります。あなたは、顧客の脳に拒絶されるノイズを作りますか? それとも、0.1秒で心に滑り込む「アクセサリー」を作りますか?
(構成・執筆:LIF Tech 編集部)

