序章:マーケターが直面する「不都合な真実」
2026年1月29日、BLOO:CON 2026(ドイツ・ケルン)。
満席の会場で、Bloofusionのウェブアナリティクス&CROチームリード、Stefanie Entrup(ステファニー・エントゥルプ)氏は、会場のマーケターたちに静かに、しかし残酷な問いを投げかけました。

「皆さん、正直に手を挙げてください。Google広告の管理画面に表示されているコンバージョン数と、皆さんの会社の経理システム(ショップシステムやCRM)にある実際の売上データ。この2つが100%一致している人はいますか?」
数百人の聴衆の中で、手は一つも挙がりませんでした。
「そうでしょう。そして残念なお知らせですが、この乖離は今後、自然に埋まることはありません。むしろ広がっていきます。私たちは今、計器の一部が壊れた状態で、**『データの暗闇(Darkness)』**の中を飛行しているようなものです」
Stefanie氏のセッションは、この「暗闇」を嘆くものではありませんでした。暗闇の「深さ」を正確に測り、見えない部分を数学とAIで補完して、それでも目的地(ビジネスゴール)にたどり着くための具体的な方法論の提示でした。
本稿では、Stefanie氏が語った**「データギャップ(Data Gaps)」を埋めるための3つの技術的防壁と、「トラッキング率(Tracking Rate)」に基づいた正しい目標設定の数式**を、徹底的な解像度でレポートします。これは、2026年の広告運用における「新しい教科書」です。
解説資料:https://lifrell-tech.com/wp-content/uploads/2026/01/Tracking_Modeling_Strategy.pdf
第1章:なぜ、あなたのコンバージョンは「蒸発」するのか? ―― 消失のメカニズム
Stefanie氏はまず、マーケターが直面している「データロスト(消失)」の構造を、技術的なレイヤーに分解して解説しました。Google広告のレポートに数字が上がってこない理由は、主に3つのフィルターによってデータが遮断されているからです。

1. 同意バナー(Consent Banner)の壁:最初の20%〜50%の損失
GDPR(欧州一般データ保護規則)や各国のプライバシー法により、Webサイトに訪問したユーザーが「Cookieの利用に同意(Accept All)」ボタンを押さなければ、Google広告やAnalyticsのタグは発火しません。
「多くのサイトでは、20%〜50%のユーザーがトラッキングを拒否しています。これは何を意味するでしょうか? 彼らがサイトで商品を閲覧し、カートに入れ、決済を完了したとしても、Google広告のAIにとっては『何も起きなかった』ことになります。AIは、この『拒否したユーザー』の購買データを学習できません」
2. ブラウザの制限(ITP/ETP):Safariという「ブラックホール」
次に立ちはだかるのが、ブラウザによるトラッキング防止機能です。特にAppleのSafari(Intelligent Tracking Prevention: ITP)やFirefox(Enhanced Tracking Protection: ETP)は、マーケターにとって頭痛の種です。
- 3rd Party Cookieの即時ブロック: リターゲティング広告の基盤となるCookieは、これらブラウザでは即座に遮断されます。
- 1st Party Cookieの短命化: 以前は「自社ドメインのCookieなら安全」とされていましたが、現在のITPはこれを最長7日、場合によっては24時間に制限しています。
「ユーザーが月曜日に広告をクリックし、検討期間を経て翌週の火曜日に購入したとします。Safariブラウザ上では、広告のCookieはすでに消滅しています。そのコンバージョンは広告と紐付かず、Google Analytics上では**『自然検索(Organic)』や『ダイレクト(Direct)』として誤認**されてしまうのです」
3. アドブロッカーと技術的制約
さらに、ユーザー側がインストールしている広告ブロック拡張機能や、ネットワークレベル(VPNや社内セキュリティ)での遮断により、タグの通信(HTTPリクエスト)そのものがサーバーに届かないケースも増えています。
「これらの要因が重なり合い、私たちの『マーケティングプラットフォーム(Google Ads)』と『真実のデータ(CRM)』の間には、巨大なデータギャップが生まれています。このギャップを無視して『CPAが悪化した』と嘆いたり、AIに入札を任せたりすることは、壊れたコンパスで航海するのと同じ自殺行為です」
第2章:真実を暴く「トラッキング率(Tracking Rate)」の定義と計算式
では、どうすればよいのでしょうか? Stefanie氏は「見えないものを恐れるのではなく、計算しましょう」と提言します。そこで導入される概念が**「トラッキング率(Tracking Rate)」**です。
トラッキング率の計算式
Stefanie氏は非常にシンプルな、しかし多くの現場で実践されていない計算式を提示しました。これは毎月のルーチンとして行うべき「健康診断」です。
$$\text{トラッキング率} = \frac{\text{Google広告で計測されたコンバージョン数(または売上金額)}}{\text{バックエンド(CRM/Shop System)で確認できた実際の広告経由コンバージョン数}}$$
例えば、ある月のデータが以下の通りだったとします。
- Google広告の管理画面: コンバージョン 80件
- CRMの実績データ: 広告経由のコンバージョン 100件
この場合、トラッキング率は 80 ÷ 100 = 80% となります。
「残りの20%は暗闇の中にありますが、『20%が見えていない』という事実を数値化することが、戦略の第一歩です」
目標ROAS(KUR)の再設定 ―― 「見えない20%」を織り込む
ここからが戦略の核心です。多くのマーケターは、経営層から「ROAS 500%(広告費1に対して売上5)」を求められたとき、Google広告の管理画面の目標設定(tROAS)にそのまま「500%」と入力してしまいます。
Stefanie氏は**「それは数学的に間違いです」**と断言します。
「もしあなたのトラッキング率が80%なら、Google広告は全売上の80%しか認識していません。その状態で管理画面に『500%』と設定すると、AIは『見えている80%の売上』だけで500%を達成しようとします。つまり、実質的には625%という高すぎるハードルを課していることになります。結果、AIは入札を弱め、本来獲得できたはずのコンバージョンを逃してしまいます(機会損失)」
正しい目標設定の式(バックエンド・アライメント):
$$\text{管理画面に入力すべき目標ROAS} = \frac{\text{本来のビジネス目標ROAS}}{\text{トラッキング率}}$$
- ビジネス目標ROAS: 500%
- トラッキング率: 80% (0.8)
- 管理画面設定値: 500% × 0.8 = 400% (※1)
(※1 補足:Stefanie氏の講演ロジックでは「見えているデータが少ない分、管理画面上の目標値は低く(緩く)設定しても、実際には裏側で達成できている」というアプローチをとります。つまり、管理画面でROAS 400%しか出ていなくても、見えていない20%を足せば実質500%になっている、という計算です)
「CPA(獲得単価)目標の場合も同様です。目標CPAが10,000円で、トラッキング率が80%なら、管理画面上では 10,000円 ÷ 0.8 = 12,500円 まで許容できます。見かけ上のCPAが高くても、裏側では安く獲れているからです」
この**「目標値のカリブレーション(補正)」**こそが、2026年の運用者が最初に行うべきチューニングです。これを怠ると、AIは過度に保守的な入札を行い、競合にシェアを奪われます。
第3章:データギャップを埋める「三種の神器」 ―― 技術的解決策の全貌
目標設定の補正は「対処療法」です。Stefanie氏は次に、データ欠損そのものを技術的に回復させる(ギャップを物理的に埋める)ための3つのテクノロジーを詳細に解説しました。
技術①:Google Consent Mode(同意モード)と「モデリング」の魔法
「同意バナーで『No』と言われたら終わりだと思っていませんか? Consent Modeを使えば、そうではありません」
仕組み:
Consent Mode v2を導入すると、ユーザーが同意を拒否した場合でも、Cookieを使わない「ピング(Ping)」と呼ばれる匿名シグナル(タイムスタンプ、ブラウザの種類、コンバージョン発生の有無など)をGoogleに送信します。
ここからがGoogle AIの真骨頂です。
Googleは、同意したユーザー(観測可能なデータ)の行動パターンを教師データとして学習し、同意しなかったユーザー(観測不可能なデータ)がどれくらいコンバージョンしたかを**「推計(Modeling)」**します。
Stefanie氏は、具体的な数字を示しました。
「あるキャンペーンの例を見てみましょう。観測されたコンバージョン(Observed Conversions)はわずか9件でした。しかし、Consent Modeによるモデリングを適用した後、レポート上のコンバージョン数は59件になりました。50件ものコンバージョンが『暗闇』から救い出されたのです」
「私たちのクライアント全体のデータでは、Consent Modeを正しく実装することで、失われていたコンバージョンの20%〜50%程度を『モデル化されたコンバージョン』として取り戻すことができています。これは魔法のように聞こえますが、統計学に基づいた正当なデータ復旧です」
導入の条件:
Stefanie氏は注意点も付け加えました。
「モデル化には一定のデータ量(7日間で毎日700回の広告クリックなど)が必要です。データが少なすぎるとAIは学習できません。しかし、ある程度のボリュームがあるサイトなら、この機能は必須です」
技術②:Enhanced Conversions(拡張コンバージョン) ―― Cookieレス時代の命綱
次に紹介されたのは、Cookieに依存しないトラッキング手法である**「拡張コンバージョン」**です。
仕組み:
ユーザーがサイト上で商品購入や問い合わせをした際に入力した「メールアドレス」や「電話番号」を、ブラウザ上でハッシュ化(SHA-256暗号化)してGoogleに送信します。
Googleは、そのハッシュデータと、Googleアカウント(GmailやYouTubeログイン状態)のデータベースを照合します。
解決する課題:
- クロスデバイス計測: 「朝、通勤電車でスマホで広告を見て、夜、自宅のPCで購入した」。従来のCookieでは別人扱いですが、拡張コンバージョンなら「同じGoogleアカウントを持つAさん」として紐付けられます。
- ビュースルーコンバージョン: 「YouTube広告を見たがクリックせず、後日検索して購入した」。これもメールアドレスの一致で効果測定が可能になります。
Stefanie氏は強調します。
「特にクッキーの寿命が短いSafariユーザーの計測において、拡張コンバージョンは命綱となります。Cookieが死んでいても、ログインユーザーとしてのIDは生きているからです。導入効果として、**検索広告で5%、YouTube広告で10%以上のコンバージョン増加(可視化)**が見込めます」
技術③:Server-Side Tagging(サーバーサイド計測) ―― 究極の防衛ライン
最後に、最も強力かつ実装難易度の高いソリューションとして紹介されたのが**「サーバーサイド・タギング(GTM Server-Side)」**です。
仕組み:
従来(クライアントサイド)は、ユーザーのブラウザから直接GoogleやFacebookへデータを送っていました。しかし、これではブラウザの規制(ITPなど)やアドブロッカーの影響をモロに受けます。
サーバーサイド計測では、一度、企業が管理する**「自社サーバー(プロキシ)」**にデータを受け渡し、そこから各プラットフォームへデータを送信します。
メリット:
- Cookieの長寿命化: サードパーティCookieではなく、完全なファーストパーティCookie(自社ドメイン発行)として認識されるため、Safariの「7日制限」や「24時間制限」を回避し、クッキーの寿命を数ヶ月単位に延ばすことができます。
- データ制御(プライバシー): ユーザーのIPアドレスやユーザーエージェント情報を、自社サーバーで加工・削除してからGoogleに送ることができます。これはGDPRなどの法的リスクを低減させます。
「サーバーサイド計測は、導入コスト(Google Cloud等のサーバー費用やエンジニアリソース)がかかります。しかし、データの欠損率を改善し、長期的なリターゲティングリストを維持するためには、2026年現在、避けては通れないインフラ投資です。これは『費用』ではなく『資産防衛』です」
第4章:2026年のブラウザ戦争 ―― ChromeとSafariの狭間で
Stefanie氏は、外部環境の変化、特にブラウザの動向についても最新のアップデートを共有しました。
Chromeの「サードパーティCookie廃止」のゆくえ
「ChromeにおけるサードパーティCookieの廃止は、何度も延期されましたが、方向性は変わりません。Googleは『Privacy Sandbox』への移行を進めています。しかし、私たちマーケターにとって、もっと深刻かつ現在進行系の脅威はSafari(Apple)です」
Safariの「完全遮断」への対抗
AppleのITPは年々凶暴化しており、URLパラメータ(gclidやfbclidなど、広告クリック時に付与される識別子)を自動削除する機能(Link Decoration Protection)も強化されています。
「これに対抗するためには、先ほど述べた『拡張コンバージョン(個人情報マッチング)』と『サーバーサイド計測(IPベースではない自社管理通信)』の組み合わせが必須です。ブラウザ側が正面玄関(Cookie)を閉めようとするなら、私たちは別の扉(サーバー間通信とIDマッチング)を開くしかありません」
第5章:日本企業への完全アクションプラン ―― 「暗闇」を抜けるためのロードマップ
Stefanie Entrup氏は、セッションの最後に、明日から取り組むべき具体的なステップを提示しました。これを日本企業の文脈に合わせて整理します。
STEP 1:現状把握(トラッキング率の計算)
まず、今月の「トラッキング率」を計算してください。
- Google広告のCV数 ÷ CRMのCV数
- この数字が90%なのか、70%なのか、50%なのか。現状を知ることから全てが始まります。もし50%なら、あなたは広告効果を半分しか評価できていません。
STEP 2:目標値の補正(カリブレーション)
トラッキング率に合わせて、Google広告の管理画面上の目標(tCPA / tROAS)を修正してください。
- 式:ビジネス目標 ÷ トラッキング率
- 見えていないデータがあるのに、厳しい目標をAIに課すのは、手足を縛って走らせるようなものです。AIに入札の余地(バッファ)を与えてください。
STEP 3:技術実装(防衛ラインの構築)
以下の優先順位で実装を進めてください。
- 拡張コンバージョン(Enhanced Conversions):
- 難易度:低〜中。
- 効果:即効性あり。特にスマホ比率が高いサイトで有効。
- 同意モード v2(Consent Mode):
- 難易度:中。CMP(同意管理ツール)との連携が必要。
- 効果:法的リスクを回避しつつ、失われた20〜50%のデータを「推計」で取り戻せる。
- サーバーサイド計測(Server-Side GTM):
- 難易度:高。エンジニアとの連携必須。
- 効果:長期的資産。Safariユーザーの計測漏れを恒久的に防ぐ。
結論:不完全なデータと共に生きる覚悟
「完璧なデータトラッキングの時代は終わりました。100%の精度は、二度と戻ってきません」
Stefanie氏は、潔くそう宣言してセッションを締めくくりました。
「しかし、それは悲観することではありません。私たちは『計測(Measurement)』から『推定(Estimation)』へとスキルセットを移行させるだけです。GoogleのAIは、欠けたデータを埋める力を持っています。私たち人間に必要なのは、AIに正しいデータ(Consent Modeや拡張コンバージョン)を与え、正しい目標(トラッキング率で補正されたROAS)をセットすることです」
「暗闇の中でも、正しい計器(トラッキング率)と地図(モデリング技術)があれば、目的地にはたどり着けます。恐れずに、データの不完全さを受け入れ、コントロールしていきましょう」
💡 LIF Tech 解析:Stefanie氏のセッションから学ぶ「データ戦略」の核心
- 「実測値信仰」を捨てろ日本の経営層は「1円単位の正確さ」を求めがちですが、Webマーケティングにおいてその前提は崩れています。数字は常に「欠けている」か「推計されている」ものです。「なぜ数字が合わないのか」を追求するコストを、「どの程度の乖離(トラッキング率)を前提に意思決定するか」という合意形成のコストに振り向けるべきです。
- プライバシーとパフォーマンスの両立Consent Modeやサーバーサイド計測は、単なる「抜け道」ではありません。ユーザーのプライバシー(同意拒否)を尊重しつつ、マーケティングの成果(AIの学習データ)を維持するための、唯一の倫理的かつ技術的な解です。
- CRMデータの価値最大化拡張コンバージョンの鍵となるのは、自社が保有する1st Party Data(メールアドレス等)です。会員登録やメルマガ購読など、ユーザーと直接つながる接点の価値が、広告運用の精度向上という文脈でも高まっています。「会員登録」をマイクロコンバージョンとして設定する戦略も有効でしょう。
BLOO:CON 2026からのレポートは以上です。
(c) Bloofusion Germany GmbH / Report generated for Japanese Marketers / LIF Tech

