「お金を使って買い物することが、社会参画だった」―― 経済学者・デジタル庁・財務省が挑んだ、”通貨の外側”に広がるもう一つの経済圏の可能性

目次

―― デジタル通貨カンファレンス 2026|パネルセッション「”お金”の再定義 ― デジタル通貨は未来の経済システムをどう変えるのか」全記録

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序章:1日の議論を「拡散」させるために組まれた最終セッション

2026年2月24日、午後5時の東京・JPタワー。

「デジタル通貨カンファレンス 2026 — FUTURE OF DIGITAL MONEY」の最終セッションは、この日のすべてのセッションとは明らかに異なる空気をまとっていました。

モデレーターの鳩貝淳一郎氏(財務省 理財局 国庫課 デジタル通貨企画官)は、開口一番こう宣言しました。

「今までのセッションはかなり実務的な話や境界実装に近い話でした。最後は割とビジョナリーな、ちょっと口頭向けの話も含めてやれたら面白いかな、と」

もう一歩踏み込んだ言葉もありました。「このセッションはまとめる気は冒頭からありません。どんどん拡散させていこうというコンセプトで来ています」。

登壇したのは、安田洋祐氏(政策研究大学院大学 教授)と楠正憲氏(デジタル庁 統括官、デジタル社会共通機能担当)。3人の関係性がそのまま、このセッションの温度を決めていました。鳩貝氏と安田氏は大学の同級生で30年近い付き合い。鳩貝氏と楠氏は10年前、コインチェックがエビスに引っ越した際のパーティーで隣り合わせになったのが最初の出会い。

アカデミア、デジタル行政、そして中央銀行出身の通貨政策の実務家 ―― この3人が「お金の再定義」という巨大なテーマに、実務と哲学を往復しながら挑みました。


第1章:10万円を配れなかった国 ―― デジタル庁・楠正憲が語る「給付」の構造的困難

楠氏は、自身がデジタル庁に至るまでの経緯を語りつつ、日本の「お金を配る仕組み」が抱える根本的な問題を率直に明かしました。

2011年、東日本大震災の直後に内閣官房に入り、マイナンバー制度の整備に関わった楠氏。番号を振れば何でもできるようになる ―― そう信じていた時代から、現実はまだ遠い場所にあります。

「2020年、コロナ禍で特別定額給付金10万円を配ろうとした時、結構な苦労がありました」

何が問題だったのか。まず、国は「世帯」の情報を持っていない。給付を世帯単位にしたため、妻から申し込みが殺到し「あなたは給付対象ではないのでご主人に言ってください」という事態が発生。逆に家族全員分の給付金を独占する世帯主も現れた。

さらに深刻な構造問題がありました。

「国が一人一人の所得を知ることができるタイミングは、翌年の6月なんです。2020年の2月、3月に飲食店が閉じて困っている人がいても、国がその人の苦境を知れるのは2021年の6月。2020年の2〜3月時点で把握できていたのは、2018年の所得情報でした」

結果として、「困っている1,000万世帯」に絞った給付は不可能となり、「全員に10万円」という形に変わった。そして5年経った現在も、公金受取口座の登録は6,500万件程度 ―― 国民の半数はまだ登録していない状況です。


第2章:ポルトガルの「NIFナンバー」―― 安田洋祐が見た、インセンティブ設計の成功例

安田氏は、2021年から22年にかけてサバティカルで暮らしたポルトガルでの経験を紹介しました。

「ポルトガルでは、スーパーに行くとみんなある番号を伝えるんです。NIFナンバーと呼ばれる番号で、日本のマイナンバーにほぼ対応しています。それを伝えると、いくらの買い物をしたかがその時点で補足され、年末調整の形で付加価値税の還付が受けられる」

ポイントは「インセンティブ設計」です。消費者は還付を受けるために積極的にNIFナンバーを伝える。結果として、個人ごとの消費データが自然に蓄積される。

安田氏は、この仕組みが日本の消費税議論に示唆を与えると指摘しました。

「消費減税のデメリットとして、高所得者ほど減税額が大きく再分配の観点から筋が悪いとよく言われます。しかしポルトガル式で還付の上限を設ければ、この問題はある程度クリアできる。さらに、100万円までは食料品8%全額還付、それ以降は4%、というようにフレキシブルに設計することもできる」

必要なのは、きちんとしたデータの取得。そしてデータ取得のために、個々の消費者にきちんとしたインセンティブを付与すること。この「インセンティブ→データ→精緻な政策」のサイクルが、デジタル通貨やトークンの世界とつながっていくと安田氏は示唆しました。


第3章:「社会の共助の単位が変わると、お金のあり方も変わる」

楠氏は、給付の難しさの根本にある構造を明かしました。

「制度設計で大変なのは、”どの単位で給付すべきか”が法律ごとに違うことです。生活保護における扶助の関係と、税法における扶養の関係と、住民記録における世帯の関係と、戸籍に載っている親子関係は、全部違う」

マイナンバーができても簡単に給付を決められない根本原因は、社会全体として「扶助をどの単位ですべきか」について、制度が縦割りでそれぞれに最適化されてきたからです。

「DAOの話も含めて、社会の共助の単位がどう変わるのかというのは、お金のあり方とものすごく深く結びついている話です」

鳩貝氏はこの発言を受けて、テクノロジーと制度の関係を整理しました。「テクノロジーが進歩したからといって、いきなり別の世界にポンと行けるわけではない。制度的な慣性 ―― ずっと同じ動きで行こうとする部分がある。しかし北極星のように目指す方向を揃えなければ、歩幅前進もできない」。


第4章:安田洋祐の「2×2マトリクス」―― 経済の仕組みを俯瞰する

安田氏は、議論を構造化するために独自のフレームワークを提示しました。

「経済の仕組みを2つの軸で分類します。第一に、マクロ(社会全体)かミクロ(個別集団)か。第二に、自生的に生まれた仕組みか、トップダウンで設計された仕組みか」

この2×2で見ると:

  • マクロ × 自生的 = 市場経済。誰かが発明したのではなく、自然に取引が行われるようになったもの
  • マクロ × 設計的 = 計画経済。歴史上、一旦は失敗したとされるもの
  • ミクロ × 自生的 = 地域共同体・コモンズ。お金とは違う原理で動いてきた集団
  • ミクロ × 設計的 = マーケットデザイン。学知を直接実装してマッチングや交換の仕組みを作るもの

安田氏自身は「マクロ×自生的」な市場を研究しつつ、「ミクロ×設計的」なマーケットデザインを専門としています。一方、マルクス経済学者の斎藤幸平氏のような論者は「マクロ×設計的」な計画経済から「ミクロ×自生的」なコモンズへと関心を移している。

「向かっていく先は違うけれど、お互いに境界を超えている」

そしてデジタル通貨・トークン・DAOの可能性は、この「ミクロ×自生的」な共同体を、完全に設計主義にせず、しかし完全に自生的なままでもなく、少しアップデートできるところにあるのではないかと安田氏は提起しました。

「失敗したコモンズはいくらでもある。DAOもうまくいっていないものが多い。しかし、試行錯誤の度合いが技術の進歩で非常に低コストになった。社会実装に近づける素地が出てきたことは、プラスだと思います」


第5章:「物々交換」の復権 ―― ノーベル経済学賞の理論がデジタル通貨と出会う時

楠氏が「物々交換の方が歴史的には遥かに多かった」「貨幣経済への移行と都市化で人は自由になったが、お金ばかり中心になった時にまた回帰する動きが出てくるのも面白い」と発言したことをきっかけに、安田氏は自身の「ガチの研究」を披露しました。

「トップトレーディングサイクルアルゴリズム」 ―― 2012年にノーベル経済学賞を受賞したアルビン・ロスやロイド・シャプレーらが中心になって研究した、お金を使わずにアイテムを最適に交換する仕組みです。

「参加者にアイテムに対する希望順位を申告してもらうと、アルゴリズムが最適な交換のサイクルを見つけてくれる。理論上、物々交換は相当円滑にできる」

しかし現実にはほとんど使われていない。その理由を安田氏は深掘りしました。

「3人で交換するとします。私は楠さんのアイテムを受け取る。楠さんは鳩貝さんのアイテムを受け取る。鳩貝さんは私のアイテムを受け取る。3人でOKだったのに、鳩貝さんが”やっぱり嫌です”と離脱すると ―― サイクル全体が崩壊するんです」

お金が果たしている機能の本質がここにあります。お金は、すべての取引を「売り手と買い手の2者間交換」に分割できる。だから「やっぱり買わない」「やっぱり売らない」が起きても、ダメージは2者間にローカライズされる。物々交換で多くの人を巻き込むと、1人の離脱が全体を崩壊させるリスクがある。

「しかし」と安田氏は続けました。「ブロックチェーンやスマートコントラクトのようなエスクロー的な仕組みがあれば、信頼できる第三者としてアイテムを一旦預かり、サイクルごとに確実に物を渡すことができるかもしれない。通貨が媒介する世界と、通貨の外側での交換マッチングの境界が、テクノロジーによって揺らぐ可能性がある」


第6章:「コミュニティへの貢献で積み上がるトークン ―― 家は買えないが、何かほのぼのしたものには使える」

鳩貝氏は、安田氏の議論を「法定通貨の外側」の世界へ接続しました。

「あるコミュニティの中で、”良い”とされていることをやるとトークンがもらえる。でもそのトークンは法定通貨のように使えるわけではない。コミュニティの中でもうちょっとほのぼのとした何かに使える。家を買ったりはできない。でも法定通貨の世界でも生きているし、そっちの世界でも生きている ―― そういう二重のコミュニティの属し方があるのかなと」

安田氏はこの構想をさらに理論的に補強しました。

「旧来の共同体は、互恵性やリーダーシップ、あるいは”村八分”のような不利益で協力行動を引き出していた。一方、資本主義は金銭的インセンティブで利己心に訴える。トークン的なものは、その中間に位置する可能性がある」

コミュニティに貢献するとトークンを受け取れる。それはある程度利己心に基づくが、成果主義的に頑張るのとは少し違う。トークンの価値は自分のコミュニティへの貢献によって上がるかもしれない。

「旧来型の共同体で互恵的・利他的に動いていた部分を、ある程度代替する新しい潤滑剤になるかもしれない。協力行動と利己性をつなげられる可能性 ―― そこにデジタル通貨やトークンの新しい可能性を感じています」

安田氏は関連書籍として、成田悠輔氏の『22世紀の資本主義 やがて、お金は絶滅する』を紹介しました。「客観的な物差しで測れるお金とは違う、主観的なトークン ―― 彼が”アートークン(アートとトークンをかけた造語)”と呼ぶもの ―― がどう機能するのか。結構深いことが書かれている」。


第7章:「お金を使って買い物することが、社会参画だった」

セッション終盤、鳩貝氏は、中央銀行デジタル通貨に関わる立場から、意外な角度の発言をしました。

「お金を支払って物を買うこと自体が、社会参画の重要な一部だと思っています」

「高齢になられた方で、ご家族の配慮でお財布をあまり使わないようにした結果、すごく元気がなくなってしまうという話を聞いたことがあります。お金を出すということ、物と交換するということは、共同体に参画している実感を得る行為なのかもしれない」

この発言は、AIとベーシックインカムの議論へと接続されました。楠氏の問いかけ:

「AIで本当にみんなが考えなくても何でもやってくれるようになったらどうなるのか。ベーシックインカムになるという人もいるけれど、その時に本当にみんなに配ってくれるのか、結構ドキドキする。”自分が貢献しているから返ってきている”という対価性の部分がなくなった時、天から降ってきたものを支払ったことで本当に社会に参画した実感を得られるのか」

鳩貝氏はこう応じました。「得ること(稼ぐこと)があるから、出口(支払い)で社会参画を体感できているのかもしれない。そう考えると、すごく難しい世界になってきている」。


終章:「縦割り通貨」から「横割り通貨」へ ―― 拡散し続ける問い

安田氏は最後に、ソニーコンピュータサイエンス研究所の船橋氏の著書『拡張生態系』に触れ、「縦割り通貨」と「横割り通貨」という興味深い概念を紹介しました。

「縦割り通貨とは、今の我々の世界。日本なら円、アメリカならドル。地域ごとにどの産業も同じ通貨を使うが、場所が変わると通貨が変わり、為替を挟んで交換する」

では「横割り通貨」とは何か ―― 地域ではなく、産業やコミュニティごとに異なる通貨が存在する世界。同じ場所にいても、エンターテインメントの経済圏と食料品の経済圏と教育の経済圏で異なるトークンが流通する。

このセッションは、鳩貝氏の宣言通り「まとめ」ることなく、問いを拡散させたまま幕を閉じました。しかし、その拡散の軌跡には明確な構造がありました。

楠氏が見せた「10万円すら配れなかった」という現実。安田氏が示したポルトガルのインセンティブ設計と物々交換理論のアップデート可能性。そして鳩貝氏が投げかけた「お金を使うことは社会参画である」という原初的な問い。

この3つの糸は、同じ一点を指し示していました。通貨とは、単なる交換の媒介ではなく、人が社会に属し、貢献し、報われるという感覚を支える装置である。 その装置が、テクノロジーによってどう再設計されるか ―― それは、効率の問題ではなく、人間の尊厳の問題です。

1日にわたるカンファレンスの最後のセッションとして、これ以上ふさわしいテーマはなかったのかもしれません。


セッション概要

  • イベント名: デジタル通貨カンファレンス 2026 — FUTURE OF DIGITAL MONEY
  • 日時: 2026年2月24日(火)17:00〜17:45
  • セッション: パネルセッション「”お金”の再定義 ― デジタル通貨は未来の経済システムをどう変えるのか」
  • 登壇者: 安田 洋祐(政策研究大学院大学 教授)/ 楠 正憲(デジタル庁 統括官)
  • モデレーター: 鳩貝 淳一郎(財務省 理財局 国庫課 デジタル通貨企画官)
  • 主催: NADA NEWS / Japan Fintech Week 2026

本記事はJapan Fintech Week 2026「デジタル通貨カンファレンス」最終パネルセッションの内容をもとに構成しています。

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